2023年度(一社)白老青年会議所スローガン

「よき祖先 グッドアンセスターとなるために」~今、変革のとき~

はじめに

 新型コロナウイルス感染拡大により私たちの生活は一変し、基本的な感染予防の実施や「不要不急」の外出自粛が叫ばれました。しかし、これらを経て、私たちの人生と社会にとって、不要不急な事柄がいかに大切なことであるのかということが、証明されました。
 私は2020年に白老青年会議所へ入会し、素晴らしい仲間たちと明るい豊かな社会を運動によって実現したいと想っていましたが、このコロナ禍によって自粛に次ぐ自粛を、皆さんと同じように公私において経験しました。コロナ禍の3年半の悪夢は私の人生にとって、間違いなく一番苦悶した時間です。ただし、皆が閉じこもっている時だからこそ、私は敢えて意識的に町へ出ていき、家を訪問し、多くの方の語りを傾聴しました。すると、真面目に自粛をしていた人ほど、孤独になり、意欲を削がれていることが分かりました。
 「これがずっと一生続くんじゃないかと思っているよ…」そうおっしゃる方は諦念と深い悲しみを体中で表現されているようでした。
 さて、私たちは有限な「いのち」を生きています。これは揺るがない事実です。もしかすると私は明日存在していないかもしれず、それは新型コロナウイルスが原因ではないかもしれません。どんなに医学が進んでも人の死亡率は100%であり、たとえ120歳の長寿の人でも、宇宙が誕生した時からの膨大な時間から見ると、一瞬輝いては消えてゆく線香花火の火花のようなものに過ぎない儚い存在なのです。しかし、私一人が亡くなったとしても社会はあり続けます。つまり、社会の内側は単体で終わっていく命によって繋いできたものしか、この世には残っていないのだということが分かります。この有限な命が連綿と繋ぐことによって成立したものが歴史であり伝統なのです。
 私は仕事の関係で4年前に白老町へ住むようになりました。恥ずかしながら、その時には白老町の場所すら知りませんでしたが、赴任してから先輩諸兄を含めた多くの方々の心の内を表現する「真の言葉」を聴いていくことで、私はこの町を愛するようなっていました。
 よそ者として見るこの町には課題がたくさんあります。ただし、それ以上に溢れる魅力があります。私が心の底からそう思えるようになったのは、過去から現在へ貴重な「先人からのギフト」を私が受け取った証です。私たちは祖先が残したものを受け取り、次の時代へと繋げてゆくことで生きているのです。
 ローマン・クルツナリックという文化思想家は、短期思考ではない長期思考を体験するには「私たちは未来の世代から見て、良き祖先でありえるだろうか」というものさしを使うことを推奨しました。私たちが過去からたくさんの豊かさを受け継いでいるように、私たちも子孫へと受け渡さなければなりません。そして、未来の人々から今の私たちが「良き祖先」として語られるか、それとも「悪しき祖先」として後ろ指を刺されるかということを倫理の軸に置きなさいと続けるのです。つまり、より長期思考を持ち、自分の人生の時間を超えた道標を持つことが、私たちの責務であるのです。

2023年度 理事長
米本 智昭

45周年事業と中期ビジョンの策定

 単年度制である私たち青年会議所運動における構築・広報・実施・効果の検証を次代へしっかりと繋いでゆくことが、未来の世代に「よき祖先(グッド・アンセスター)」と思ってもらえるような生き方であるはずです。そうであればこそ、取り繕うことをせずに、自ずと生き方を問い直し、短期思考から長期思考へと誘ってくれるはずです。その先には必ず幸せな社会が実現します。
 今こそ私たち青年会議所が、まちの未来を担っていることを強く自覚し、未来世代に何を残せるのかを真剣に考え行動し、組織としての姿を「中期ビジョン」として策定して共有することが必要なのだと考えます。これを考える時の重要なポイントは自分たちの為(自利)でもあり、まだ見ぬ未来世代の為(利他)でもなければいけないということです。即ち、利他であるように思えることも自利に通じており、これらの二つは相反せずに一つであるという営みが重要になってきます。
 また、2023年は一般社団法人白老青年会議所の45周年を迎える記念すべき年です。この45周年は次の50周年という大きな節目へ加速していく年にしなければなりません。現状維持は衰退するだけです。ましてやコロナ禍を経験した後ですから、ただの加速では足りないのです。いつもより立ち上がる力(レジリエンス)を強めなければいけません。厳しい冬を越した桜ほど、色が濃いように、その先に待っているのは鮮やかな彩です。この記念事業は、伝統的な祭りを下敷きとして青少年から年長者まで多くの方が関わることで、青年会議所に留まらず、多諸団体や町民を巻き込んでいくものに必ずなるでしょう。

持続可能性のバトンをつなげる

 白老町においては、2004年に制定した環境基本条例の前文の中で、望ましい環境像を以下のように表現しています。
 「私たちも生態系の一員であり、享受できる環境には限りがあるとの認識に立ち、自然とともに生きてきたアイヌの人々や先人の知恵と歴史を学びながら、人と自然との共生を基本として、持続的発展が可能な循環型の社会を築いていく必要があります。」(一部抜粋)
 私たちも自然の一部であるという認識に立った時には、この地球の環境問題をどれだけ自分ごととして捉えていくかということが重要な視点となります。
 世界環境に対する深刻な情勢を受け、日本では2050年カーボンニュートラルの実現に向けて舵が切られました。北海道も同様に、2050年までに道内の温室効果ガス排出量を実質ゼロとする『ゼロカーボン北海道』を掲げています。これを受けて、カーボンニュートラル実現後の白老はどのようになりうるのか、青年会議所が先頭となり、どんな新たな可能性と課題が生まれるのか、哲学者やアクティビストの智慧を参照して議論や対話を重ね、日常の活動と環境の関わりについての知識と理解を深め、町民一人ひとりができることを自主的かつ 積極的な実践を実現してゆきます。

ひとづくり~ファシリテートするリーダー像~

 青年会議所は「ひとづくり」に関しては伝統的に青年期における「トレーニング」というインプットと、「実践経験」というアウトプットの両輪を実行することで、真摯な情熱を社会に貢献出来る地域のリーダーを育成してきました。
 リーダーとは、指導者として仲間を牽引し、あるいは後押しができる存在です。しかし、一方的に指導者が生徒へ指示を垂れるような関わり方ではなく、アクティブラーニングと呼称されるような「主体的・対話的で深い学び」の視点を持ってもらう関わり方へと変遷してゆくことが様々な分野で推奨されています。なぜなら不確実性が高い現代において、青年経済人としての質の高い学びを実現し、その内容を深く理解し、資質・能力を身に付け、生涯にわたって能動的(アクティブ)に学び成長することが必須だからです。
 また、その学んだことを実践としてアウトプットするときには、良き結果が得られるようにプロセスを促進し、容易にし、助長するファシリテーションが必要となります。このファシリテーションによって問題や課題を顕在化させて、解決するために支援し、成果を生み出すことで、学んだことを使うことが可能になるのです。
 ひとづくりはメンバーのみならず、地域の青年たちが集いたくなるような魅力的なものとなり、成長と機会の提供を実現することになります。

まちづくり~ウェルビーイングを実現するまちづくり~

 まちづくりは「より便利で快適な豊かな町に引っ越したい」と想うのではなく「この町を便利で豊かにしたい」という風に愛郷心から町を変えてゆく志向が出発点となります。この愛郷心を形成するには、白老に住み暮らすひとりひとりが幸せを実感できる「ウェルビーイングなまちづくり」が必要です。    
 ウェルビーイングという言葉は日本政府による2021年の「骨太の方針」「成長戦略」に初めて明記されましたが、幸福の新しい「ものさし」のことです。私たちの家族や友人が住み暮らすこの社会が、どうすれば「良き状態」でいることができるかについて考えることです。つまり、何がまちづくりにとって必要な幸福であるのかを考えることです。そのヒントは人との関わりかたです。
 パスカルの「人間は考える葦(あし)である」という比喩は、「人間は自然の中で最も弱く傷つきやすい存在としての葦のようであるけれども、考える事ができるのだ」という意味ですが、葦は遠くから見れば地上に生えている部分の一本一本が個として別の物でも、近づいてみれば葦は地下茎で絡み合い繋がっているということも表します。
 つまり一人だけで成り立っているように見えても、実際はそうではないということです。社会において、人はその葦のように全く別の存在であり、互いに異なる多くの人の集まり=多様性であり、繋がっていることで形成されているのです。
 JCI Creedにおいて「人間の個性はこの世の至宝であり」と明記されているように、これは「わたしはわたしのままで良い」「あなたはあなたのままで良い」という尊厳を認めるということになります。
 これらの想いが結実することで、私たちは「よき祖先 グッドアンセスター」となることが出来ます。それはまさしく「まちに住み暮らすひとが多様であり、そのままで素晴らしい」という他者を承認してゆくことができ、明るい豊かな社会が実現してゆきます。

結びに

 青年会議所の最も魅力的なことは、JAYCEE として生きることはギブ&テイクではなく、ギブ&ギブということです。見返りを求めない集団であるということです。
損得勘定からではなく、困っている他者へ思わず手を伸ばしてゆく行動を現在進行形で実現していくことです。社会に対しての運動を深化させ、白老というまちの質的価値を高め、変わらぬまちと人の想いをより良い未来に繋ぎましょう。
 さぁ、あなたはまだ見ぬ未来世代へのよきギフトを織りなしていく「糸」となる準備は出来ていますか。共に素晴らしき未来を紡いでゆこうではありませんか。